言われてみれば-さかい
テーマが難しすぎたのかもなぁ
本当に継続する力がないこの頃
はぁ
なかなかまとめられないから
今考えてること
昨日中絶の話で議論してるの聞いてたんだけど
まず日本では中絶-残酷なことって割と浸透してると思ってるんだけど
まぁ実態はどうかわからん
コウノドリでも取り上げられてたよね
対してイタリアでは中絶はどうなんだろ
実態はこちらもわからんけど
まぁ議論してたんよね
全員イタリア語が母語じゃないからちょっと噛み合ってなかったていうのが友人の総評なんだけど
要するに
一人が私はこどもは欲しくないから子どもができたら中絶するって言って
いやまずは予防が大事でしょって話になって
まぁそれで話は終わりなんだけど
そっから
でも何週かすぎたらこどもはそこにいるんだぞとか
あなたはこどもが欲しいからそういう意見が言えるんだとか
予防が効果的なのは健全な人だけだとか(依存症について関わってきた人だから予防が理論上ほどは功を奏さないと知ってる?)
そんなこんななんだけど
そもそもなんでこんな話になったかというと
一人が働いてるとこが精神障害を持ってる人が共同で暮らしてるとこなんだけど
そこの人たちは一人ではトイレとかもできないと
料理、掃除、風呂の手伝いと
こんなの心理士の仕事じゃないってことを結構ずっと言ってて
知的障害者は自分が実習をしてたとこにはこないわけですよ
というか
ここに来るまで
障害者についてとか、貧困とかね、移民とかね
正直興味ないなぁとしか
重症心身障害者の方の実習とか相模原の事件とかハンセン病の施設とかで
割とお腹いっぱいだしすすんで考えたくなくはないというか
どうも考えがまとまらない話題なんですがね
人と話してそれがきっかけで人が治るなるなら非常にやりがいを感じられると思ったから精神科いいなぁと思うけど
いくらお膳立てをしたところで砂を掴むようにこぼれていく人って結構いて
というかそういう人の方が多いんじゃないかねぇかとか
最後にそういう人に感じる本質は、
怠けたいとか、何もしたくないとか、タバコとかの安易な娯楽とか
人の悪いところを引き受けてるような感じというか
なんでこんなやつ助けにゃならんのだとかさ
障害者なんていない外から見たときに、偏見をなくせってのがそもそものここトリエステの始まりの理念らしいけど
軽く頷くことはできんなぁ
非常にとっ散らかってるがそんなとこ