I am-のぴ

political correctness
人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。(デジタル大辞泉より引用)

挑戦状に戦々恐々ののぴです。

デモですか。
また面白い話題を。

細かい思想の違いについては
あまり詳しくないので言及しません。

誤解を恐れずに書くなら
デモは個人(当人)の思想…と見せかけて
全体の思想にコントロールされているものではないかと考えています。

洗脳とまでは言いませんが

「周りが言うなら正しいのでは?」
                          ↓
「なんか正しい気がしてきた。」
                          ↓
「これは私の考え。私自身が元々考えていたこと。」

みたいな感じでしょうか。
勿論、全員が全員そうとは断言できませんが。

鶏と卵ですね。この辺りは。

スタートが強烈な思想を持った一人、少人数から始まったのか
それとも何らかのイベントをきっかけに同時発生的に集団思想化したかなんて分かりません。

しかし、それはスタートの話。

今現在進行系で行わているデモの多くは
そうして形成された一つのムーブメントに
個人の思想が影響を受けているのではないか、
つまり、個人→集団というよりは集団→個人のベクトルが存在しているのではないか、
そのように考えています。
勿論、全例には当てはまらないと思われますが。

ところで、日本とデモの盛んな諸外国の違いとして
やはり自己主張の強さが大きく影響すると思います。

後者は「I am 〜」と自分の立場を明確にしている方が多く、
前者は、それこそさかいが書いていたような
political correctness、事なかれのどっちつかずの立場が多いように思います。のぴも然り。

根底にあるのは
建前としては「どちらもいい意見だから」「どちらとも言い難い」でしょうが
本音としては「偏った思想を持ちたくない」「どちらかに偏っていると思われたくない」ではないでしょうか。

この辺りは非常にデリケートな問題であるため
切り込めと言われても、それこそが個人の思想の侵害、コントロールに繋がりかねないと思われます。

日本人の"奥ゆかしさ"ですね。
ちょっと皮肉めいていますが。

日本人の多くが立ち上がるのは
本当に自分たちの生活に大きく影響すると強い危機感を感じたときでしょうね。

その根拠として公害問題や基地問題等では
その地域の人々を中心に
ある程度のムーブメントは起こりますよね。

しかし、日本全体ではない。
日本各地で小規模のムーブメントは起こっていますが。

また、日本は無宗教が多いことも特徴です。

つまりは、特定の思想、宗教に拘らない
(あるいは拘ることを嫌う)
それが一つの"思想"なのかもしれません。

だとすれば、
偏らないこと自体も一つのデモとして
成り立ち得るのではないでしょうか。

ちょっと長めになりました。
書きながら考えていたので
のぴのぴと書いてしまいました。